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お茶の歴史

●お茶の歴史

お茶の歴史は古く紀元前にさかのぼります。中国で始まったお茶を飲む習慣は、やがて日本やヨーロッパへと拡がっていきました。

日本では800年代(平安時代)に遣唐使によってもたらされましたが詳細は不明です。

中国でも日本でも最初は嗜好品ではなく薬として飲まれていました。当時は、大変高価な薬だったと考えられます。

●世界最古の薬草辞典「神農本草経」に記述されたお茶

唐の時代760年前後に陸羽によって編纂された一大茶辞典『茶経』(ちゃきょう)には「茶の飲たるは神農氏に発す」とあります。お茶を人類史上はじめて飲んだとされる神農氏(しんのうし)とは誰でしょうか?

中国最古にして、世界最古の薬草の薬草事典『神農本草経』(しんのう/ほんぞう/ぎょう)は後漢(25年~220年)の時代に成立したとされます。

この著者「神農大帝」(伝説上の人物。農業神・医薬神)は、365種類の生薬についてその薬効を調べた人です。神農大帝は紀元前3400年頃の皇帝です(『茶経』)。「神農本草経」は漢方の基礎となる書ですが、ここにお茶に関するおもしろい記述が残されています。

神農大帝は、365種類の薬草を「上薬」「中薬」「下薬」の3種類に分類し、「上薬」(上品)は長期服用可能でカラダを元気にしたり不老長寿の作用があり病気を予防するものとしました。

「下薬」(下品)は毒物成分が含まれ病気の治療に使用可能。その反面、長期服用が不可能であること。取扱に注意を要することなどが書かれています。「中薬」は「上薬」と「下薬」の中間に位置します。

「下薬」の考え方は現代の「医薬品」に似ています。劇的な効果がある、つまり薬効の高い薬を「下薬」と呼ぶ態度は、最先端の現代医学や現代薬学のポリシーとの共通性が感じられます。

植物を舐めただけで薬効がわかったとされる神農氏のエピソードも凄いのですが、植物の毒性を調べるために服用し(百草の滋味を嘗め、一日にして七十毒に遭う)、毒に当たる度に荼(と)を用いた(茶の葉で解毒)したというエピソードも興味深いものがあります。お茶パワーの凄さは紀元前にははやくも知られていたことになります。

●お茶のルーツ

お茶を産するチャノキの起源は中国雲南省~ミャンマーが現在の定説です。中国雲南省は天然植物の宝庫で、バラのルーツもここではといわれます。ついでに梅や桜も起源も中国雲南省が疑われています。

●お茶文化の拡大

日本語の「茶」は中国広東語の「茶」に由来します。英語の「Tea」は、中国福建省の「荼」に由来すると考えられています。

同じヨーロッパでも広東地方から輸入するか、福建地方から輸入するかによって「Cha」(チャ)系か「Te」(テー)系に別れます。

「Cha」系には下記があります:
  • 「Cha」(チャ=ペルシア、ポルトガル)
  • 「Chai」(チャイ=ロシア)
  • 「Chay」(チャイ=トルコ)
「Te」系には下記があります:
  • 「Tea」(ティー=イギリス)
  • 「Te」(テー=スエーデン、イタリア、デンマーク)
  • 「Tee」(テー=フィンランド)
いずれにしてもお茶の起源が中国で、16世紀の大航海時代を通して一気に世界中に茶文化が伝播していったことが伺えます。

ちなみに米国も当初は紅茶嗜好が強かったのですが、アメリカ独立運動の契機となった「ボストン茶会事件」以来、イギリスへの反感から紅茶よりコーヒーが人々の生活に入り込むようになったとされます。




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