武蔵野ワークスとは?
( 世界ブランドになることはないでしょう )ブランドの特徴
パフューマー(調香師)が在籍し、自社開発を行っております。社名の武蔵野ワークスは、会社の創業の地が、武蔵野だったことから命名しました。
武蔵野の四季と自然が私たちの創作活動の原点です。
Floral 4 Seasons - 四季香水
オリジナルブランド「フローラル・フォーシーズンズ」(四季香水、和の花の香りシリーズ)を中心に、 フレグランス、スキンケア(ボンセント・シリーズ)、その他の製品開発を行っています。ブランド・コレクション
ブランド紹介
( 強すぎる香りに疲れた人のために )海外の香水、強すぎる?
日本で香水といえば、欧米の香水が主流。しかし、それらを「強すぎる」と感じる日本人は少なくないようです。
その結果、日本では、香水は化粧品の中でもっとも使用されないアイテムの一つ。
化粧品全体に占める香水のシェアは 2-3% 、一方欧米では、香水は化粧品のトップアイテムで 20% とも言われます。
女性が外出時にバッグの中に持ち歩く化粧品のトップも香水というヨーロッパに対して、日本では香水の存在感は見る影もありません。
日本の大手化粧品ブランドは、おおむね、香水から撤退しスキンケアやメイクアップに注力するようになりました。
その土地や風土に影響される香水
私自身の体験でも、欧米の香水は、現地で使用するとき、とてもしっくり自分の体臭と混じり合います。しかし、日本に持ち帰ると何か「違う」印象を抱くことがあります。
また、多くの人と同じように、私も欧米の香水は「強いかな・・・」と、特に日本にいるとき感じます。
ヨーロッパ人調香師が来日した際、自分が持ってきた香りが「こんな香りではなかなったハズ」と首をひねっていることを目撃したことがあります。
彼らもまた、日本とヨーロッパで同じ香りに対する感じ方が違うようです。
香水創りのテーマ
私たちの香水に対するテーマはシンプルです。・「日本の気候に合う香り」
・「日本の風土に合う香水」
・「日本人の肌に合う香り」
日本で素敵に香る香りとは、日本の風土や気候や日本人の体臭に合う香りだと思います。
そんな香りを求めて、1996年以来模索を重ねた回答は「優しい香り」でした。
そして、その優しい香りを最も実現しているものが、身の回りにある花の香りでした。
海外産のお花も日本で育てると、日本らしい香りになる点がふしぎです。
フローラル・フォーシーズンズ
和の花をテーマに始めた香りシリーズが「フローラル・フォーシーズンズ」(Floral 4 Seasons) です。素朴に優しく響く香りをもっとも重視して制作した香りです。
和の花の香りを中心に40種類、花そのものに近い香りから、その花をイメージした香水まで。
代表の紹介
( 香りの制作責任者 )
( ムエット = 匂い紙で香りを確認中 )
小さい頃の思い出
小さい頃、私の田舎では稲刈りが終わると、脱穀されたワラが田圃のなかに山のように積み上げられていました。学校帰りの子供たちが、そのワラの山に登って遊ぶ光景は晩秋の風物詩でした。
私も擦り傷を作りながらワラの山に登って遊んだものです。
ワラ山に寝そべり、高く突き抜けた青い秋空を仰ぎ見ていたことは楽しい思い出のひとコマです。
一番ホッとする香りとは
ワラの香りは、今でも脳の後ろの方にくすぶっている記憶です。これがヨーロッパ人なら、干し草の香りでしょうか。
人それぞれが自分の生まれ育った環境とともに懐かしい香りを記憶しています。
それは庭先の金木犀だったり、お母さんの定番の料理だったり、お母さんそのものの香りだったり。
それはもういろいろな香りです。自分の一番ホッとする安心できる香りかも知れません。
人は大きくなっても無意識に心が安らぐ香りを探しているようです。
街角で、ふと沈丁花の香りに出会うと、それは「よい香り」というより、うまく言えないけど「この香り!」という衝撃。
生まれる前からDNAに刻まれていたかのような「ああ、これは探していた香り」という気持ちでいっぱいになります。

( イチジクの葉の香りを確認中、とても雰囲気がある香りを発しています )
香水のトレンド
香水にもトレンドや流行があります。刺激的で、スタイリッシュ、官能的で甘美な香水、自然界にない未体験で新鮮な香水など、次々に新しい香水が作られます。
それらは私たちの生活にバラエティを与えてくれます。
こんな香水を創りたい
しかし、武蔵野ワークスが目指す香水はどちらかというと「懐かしい香り」。生活に密着し生活と共に香る香りかもしれません。
お料理の香り、室内の木の香り、庭先の土の香り、ベランダの花、家族の元気のある香り(人にも香りがあるんですね)。
そんな生活の香りにマッチして、生活に彩を差してくれる香り、私たちはそんな香水を創りお届けすることを目指しています。

( マスコミ取材を受けた際の記事 )
社名の由来
( 武蔵野の魅力 )武蔵野にある香水工場
当社は、武蔵野の地で創業しました。社名は武蔵野から命名しました。「武蔵野にある香水工場(ワークス) 」という意味です。
武蔵野の林が醸し出す美しさは、私たちの創作活動の原点です。

( ケヤキは武蔵野を代表する樹木の一つ。武蔵野には落葉樹が多く四季の変化は、そのまま色彩の変化です )
太古の武蔵野
武蔵野には旧石器時代から人々が暮らしていた形跡があります。3万年から1万年くらい前の石器などが現在も出土しています。
当時の武蔵野では、おそらく原生林がうっそうと生い茂るジュラシックパークのような世界が拡がっていたことでしょう。
ただ、武蔵野には巨大は恐竜や猛獣が活動していた形跡がなく、穏やかなで優しい森だったと推測されます。
草原となった武蔵野
文明が生まれ、人々の歴史が始まると武蔵野は、森から原野へと変貌したと推測されます。なぜなら、万葉集をはじめ多くの古書には、武蔵野は森や林ではなく、草が生い茂る野として記述されているためです。
古代の人々による焼き畑の普及で森が草原へと変化したのでしょうか?
武蔵野は、奈良時代や平安時代の詩人達を魅了する美しい草原であり、特別な思いで武蔵野が描かれていることが、多くの和歌や随筆からうかがえます。
生活と自然が一体化した武蔵野
しかし、江戸時代、江戸の爆発的な人口増加とその食料確保のために武蔵野の開拓が始まります。その原動力は、世界的に有名な上水道・玉川上水でした(「玉川上水」・・敬意なくして語れないほどの歴史遺産)。
武蔵野の大地に水路が拓かれたことで、耕作地が拡大、人手による社寺林・屋敷林・街道防風林・雑木林などの植林が増えました。
武蔵野は「草原と林と人々の生活」が、バランスを保ちながら渾然一体となった独特で特殊な大都市郊外へと変貌していきました。
(現在の武蔵野は、人々の文明的な生活の比重が大きくなり、その傾向は継続中です)
明治時代、近代日本へと突入したとき、林と田園が一体となった武蔵野に対して、国木田独歩は著作『武蔵野』の中でこのように表現しています。
「昔の武蔵野は、萱原のはてなき光景をもつて絶類の美を鳴らしてゐたやうにいひ伝えてあるが、今の武蔵野は林である」
落葉樹の美しさ
国木田独歩は、武蔵野のとくにナラ・ケヤキ・イチョウなどの落葉樹に心を奪われたようです。「木はおもに楢(なら)の類いで、冬はことごとく落葉し、春は滴るばかりの新緑萌え出ずる、その変化が秩父嶺以東十数里の野いっせいに行なわれて・・・」
「元来、日本人はこれまで楢の類いの落葉林の美をあまり知らなかったようである。林といえば、おもに松林のみが、日本の文学美術の上に認められていて・・・初めて東京に上ってから十年になるが、かかる落葉林の美を解するに至ったのは、近来のことで・・・」


( 秋の武蔵野は、燃えるような色彩に )
武蔵野の魅力
武蔵野の魅力は、原生林の林としてではなく、人々と自然が調和している空間にあるように感じられます。国木田独歩は、武蔵野の魅力をこのように書き留めました。
「自分が一度犬をつれ、近処の林を訪おとない、切株に腰をかけて書ほんを読んでいると、突然林の奥で物の落ちたような音がした。足もとに臥ねていた犬が、耳を立ててきっとそのほうを見つめた。それぎりであった。たぶん栗が落ちたのであろう・・・」
国木田独歩がつづった『武蔵野』から100年、少なくなったとはいえ武蔵野の林には現代人にも共感できる感動があります。
武蔵野の森
( 人々の生活と森との調和 )多彩な動植物を育む豊かな森
武蔵野は、現在の埼玉県所沢市・狭山市から、東京西部・多摩地区、南は神奈川県川崎市や町田市周辺までを覆う火山灰質性の台地です。奥多摩を発する多摩川を中心に河岸段丘的に形成された丘陵は、なだらかな曲線をもって緩やかに拡がります。
奥多摩から東京湾まで続く穏やかだが、変化に富む丘陵地帯です。
開発が進まなかった武蔵野の森
武蔵野では古代において焼き畑が行われたようで、うっそうと茂っていた森は、奈良・平安時代には広大な草原と林が混在していたと考えられます。江戸時代、全国的に新田開発の気運が高まりますが、武蔵野に広大な田圃(たんぼ)が出現することはありませんでした。
もともと富士山の噴火による火山灰でできた地層(武蔵野台地は、関東ローム層の一部)です。
この土地は、水を保持できず田畑、とくに田圃(たんぼ)に向かなかったためです。

( 日立研究所(国分寺市)内に残るかつての武蔵野の原生林・・・武蔵野は草原だったという記録もあり、どのように森と草原が変遷してきたのか解明されていません )
人々の生活と森との調和
一方で、江戸時代初期、多摩川上流から武蔵野を横断して、江戸市内に水道水を供給する玉川上水が完成したことにより、武蔵野と人々の生活は密接になります。しかし、武蔵野は、もともと火山灰台地であるがため、過度な開発が進まみませんでした。
そのため多くの林や草原を残して現在に至りました。
武蔵野を潤す地下水流
武蔵野の地下を流れる水流は、ときとして湧き水(武蔵野では「ハケ」と呼ばれる)で地表に噴出し、大地を潤し、川となって多摩川や荒川に注ぎます。豊かなハケがある土地は、たとえば「小金井市」(黄金の井戸)のように地名として残されたところもあります。
当社が創業した国分寺市には、市内を国分寺崖線(こくぶんじがいせん)が走り、崖の下でいくつかの湧水を見ることができます。
その一つ「お鷹の道・真姿の池湧水」はこの土地の人々の憩いの場であり、豊かな水量は野川へと流れ込み、多摩川、そして東京湾へと注ぎます。
古代文明の地
国分寺は、はるか昔、聖武天皇が全国に建立した数あるお寺・国分寺の一つ(「武蔵国分寺」)があった場所です。武蔵国分寺周辺では、聖武天皇より遙か以前の遺跡が、現在でも発掘され続けており、この地には人々の豊かな文化と文明があったことが伺えます。
古代、国分寺に隣接する府中市には国府が置かれていました。そのため武蔵野には、関東・東北地方から国府に至る重要街道が通っていました。
まとまった軍勢を派遣可能な、現代で言えば「スーパーハイウェイ」が敷設されていました。

( 奈良時代に建立され武蔵国分寺の跡地。近くには古代のスーパーハイウエイである東山道が走っており、鎌倉や府中からの多くの軍勢が往来していた武蔵野 )

( 多数ある武蔵野のハケ(湧水)の一つ。武蔵野の地中深く流れる水脈はところどころでハケとして地表に現れ、大地を潤し、野川や神田川などとなり東京湾に注ぐ )
現代にも続く武蔵野の美しさ
現在の武蔵野は住宅や道路などで覆い尽くされましたが、未だケヤキ、コナラなどの落葉樹から成る多くの雑木林が点在し、湧き水が小川を作り、太古の昔より人間だけでなく多くの野生の動植物を育んでいます。豊かな武蔵野
たとえば、野川公園とその周辺には多くの原生林と清流があります。四季折々、色彩を自在に変化させていく武蔵野。森の大らかさ・美しさをたたえます。
会社概要
( 小規模ながら、特徴ある企業を目指しています )企業概要
● 社名 | ・有限会社 武蔵野ワークス (むさしのわーくす Musashino Works Inc.) |
● 設立 | ・1996年8月1日 |
● 代表 | ![]() |
● 住所 | ・(通販事務所) 185-0023 東京都国分寺市西元町2-13-19 (LM1階フロア) |
● 事業 |
※調香専門の香水メーカー: ・自社ブランド製品の製造販売 ・企業・団体向けオリジナル香水やOEM香水の開発制作 (終了済み) ・個人向けオリジナル香水の開発制作 (終了済み) ・調香セミナー、香りのイベント |
● 連絡 |
・sales08(a)fragrance.co.jp (※ご使用の際は「(a)」を「@」に変更)
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沿革
[2017/09] 現事務移転(国分寺市) [2014/06] 事務移転(小平市) [2010/10] 事務移転(小平市) [2009/07] 事務移転(国立市) [2000/10] フローラル・フォーシーズンズ(Floral 4 Seasons)リリース [2000/08] 事務移転(国分寺市) [1999/01] 事務移転(新宿) [1996/08] 企業向けオリジナルOEM香水制作サービス開始 [1996/08] 有限会社 武蔵野ワークス設立 [1996/03] 個人商店 武蔵野ワークス設立 |
お取扱店
※伊勢丹新宿店での販売は終了しております ※当社は通販でのみ営業、店舗はありません(2022年現在) |
活動履歴
(OEM香水制作など)
(OEM香水制作など)
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